おとな女子留学&ヨーロッパ鉄道の旅

おとな女子のヨーロッパひとり旅です。

ミラノ~ベネチアへ移動~ユーロスターに乗ります!

f:id:hellosaya:20180902022002j:plain

ミラノのホテルは中央駅に近いので助かりました。
移動が楽です。
古い石造りの建物をきれいにリノベしていてほぼ快適だったのですが、ひとつ難点が。
静かにしていると、ゴーっという音が響いてくるのです。
低音で振動のようなものも感じます。
地下鉄の上にあるわけではないので、何だろう?と思っていました。
今月の15日にはジェノバ近くで橋が経年劣化で崩落したばかりです。
この建物壊れたら重さで死ぬだろうな、などと想像すると怖くて((( ;゚Д゚)))
なので、言葉がわからないのにテレビつけて、アメリカのドラマをイタリア語で見ていたり。
ちょっと落ち着かない部屋でした。
いや、内装は高級ホテル並の贅沢な作りなのですが、残念です。
恐らく、前を通っているトラムの音が地面から伝わってきているのではないかと思います。
橋の崩落以来、イタリアの建物信じてませんから💦💦

さて、そんなホテルを後にして駅に向かいます。
ユーロスターベネチア行き13:05発。
30分前には着いて、ホームを掲示板で確認して、入り口の確認して…です。
ミラノ中央駅は24番線まである大きな駅ですが、番号通りに並んでいてくれるので、とてもわかりやすいです。
パリのリヨン駅のように乗り場があちこちにないのは助かります。
私の列車は8番線に到着していました。なぜか車両はSBB(スイス国鉄)のもの。車両がきれいなのはありがたいですが、イタリアの列車にも乗ってみたい。隣にイタロの真っ赤な車両が止まっていて、センスだけは良いのだよな、と感心しました。
しかし、ヨーロッパの鉄道は清掃しないのか、車両の外側がいつも汚いのは、いただけません😣

私は1等車を予約しておりました。
Cauch(車両)1の31が私の座席番号。
一応、確認して乗り込んだのですが、そこには若い白人女性が座っていました。
ヨーロッパではよくあることです。
イギリスでもそうでしたが、指定席が空いていれば、2等の人も平気で1等車に座ります。車掌さんも最初しか来ないと皆思ってますから。
だと思って

「ここ私の席ですけど…」

と言って、チケットを見せました。

すると、

「ここは7号車よ。1号車はあっちよ」

と言うので、てっきり私が号車番号を見謝ったと思い一旦外へ。
だけど、見直しても隣は2号車、これは1号車。偶然にもそこに車掌さんがいましたので、チケットを出して聞いてみました。
すると、この車両で間違いない、そこに座っている人にはバイバイしてもらいなさい、と。
車掌さんのお墨付きなら、間違いないです。
もう一度、その女性に

「あなたが席間違ってますよ!」

と言って、チケットを見せるように言うと、

今、ここで誰かが来るのを待っているので動けないと言うではありませんか。
それは私の関知するところではないので、
「待つのなら、どうぞ外でお待ちください」と言ったものの、なかなか動こうとしない。
なので
「もう、発車まで時間もないので、7号車に移られた方がよいですよ」

と、7号車はあちらです、と言い返してみました。
すると、どうやら通路を隔てた反対側に両親が座っていたみたいで、また後でね、と話しています。

何それ?両親込みで席の横取り?
だったら、そんなに高くはないのだから席を取ればよいのに。
私の前はずっと空いたままだったので、その女性だけなら座れたかもしれない。けれど、その女性にも連れがいて、その2人は2等だったから、ちゃっかり1等に潜り込もうとしたということか。

それにしても、チケット持っている人を騙して、自分がタダで座ろうなんて、泥棒と同じじゃないですか!
それも、外国から来たからわからないと思って、すぐわかるような嘘をつく!
常識では考えられないことだと思ったのですが、どうもイタリアでは、「嘘をつく」は日常的に大アリみたいです。

先日の「道を教えてくれない女性」から「イタリア人に道を聞くなら3度聞け」のことわざに行き着いたように、このイタリアという国では、自分が得をするためには嘘くらいは何でもないことなのです。それで相手が騙されてくれたら、ラッキー!ってレベルのこと。
日本でいう「恥」の文化がないので、泥棒扱いされて恥ずかしかった、というのはないのです。
車両を移っていった彼女はきっと、「何で私が2号車に移らなければならないのよ!」っと、日本人には理解不能な怒りとともに消え去ったと思っています。

ちなみに、通路の反対側にいる両親は全く気にもかけず、普通にしています。
日本なら厚顔な人と思われてしまうはず。

どちらが正しいかは文化の違いなので何とも言えませんが、私は日本の文化が好きです。

ベネチアに着いてからも、後ろから一歩でも前に行きたいオバサンに何人か遭遇しました。
イタリア人は、仕事はのんびりなのに、せっかちです。
なので、わざと

「先に行きたいのですか?」

と、聞いてみると、

「ありがとう」

と言って先に行ってしまいます。

うーん、急いている自分の気の短さは恥ずかしくないのか…。
というか内省に乏しく、自己欲求が一番なのか。

この国の国民性を改めて理解しました。

この国の人の言うことは信じない‼️

これが一番です。

例えば、あるレストランで、看板にスパゲティー8ユーロと書いてありました。
その下に小さく“alette”と。

このイタリアという国では、小皿(この未成年では100gと書き添えてありました)では8ユーロ、みたいな間違えて入ってくる外国人をだますような看板もアリなわけです。

例えば、ベネチアでゴンドラに乗りたいなと思ってツアーを探していると、歌付きのゴンドラツアー○○円(ちょっと高めの設定)と書いてある。しかし、クチコミを見たら、“歌なんかなかった”“歌がないじゃないかと文句を言ったら、船頭はそんなの知らないととぼけた”とか、たくさん書いてあるわけです。
それで契約違反にはならないのが、イタリア。

スーパーでもどこでも、おしゃべりしながらお仕事は当たり前。おしゃべりが忙しかったら、お仕事は後回しでOKなんです。

これは、英語学校で会ったステファノの話。
彼はミラノで高いシャツを売る店を経営していると言って名刺を配りまくっていました。
自分はCEOだと。確かに体にフィットしたよいシャツを着ているとは思いました。
しかし、長く話をしていると、最初に泊まったホテルが高いので安いところに変えたら狭くて…と、ボロが出まくり。ただの調子のよい奴と皆から思われてしまいます。


橋の崩落事故で、その危険性が近くに住む市民から指摘されていたにも関わらず、橋のかけかえなどの措置が施されずに来てしまったのは、見た目だけのちょこちょこ工事で“やったこと”にされてしまっていたため。
イタリアの人は“言い訳”も多用するようで、この橋の崩落についても、この橋は幹線道路なので閉鎖したら国の流通に大きな影響が出たため、と言っています。
日本人からしたら、だったらなおさら、脇に新しい橋を建設するべきだったのでは?と思うのだけど。
何十人も人が死んでいるのに、そんな言い訳が通ってしまう国なんです。

そんな国で唯一、心からありがとうを言った人がいます。
それは、今朝傘を買った露天のおじさん。
ウォーターバスから降りたときに、かなり雨が降り始めていました。
まだ、露天のお店がたくさんは空いていない中、バス停の目の前のお店だけが空いていたのでお札を握りしめ駆け込みました。
そして、今ここであけていい?と聞いたら、おじさんは袋から出した傘の値札を引きちぎり、傘をさして渡してくれました。

これよ、これ!

思いやりって、これでしょ?
傘を開けてあげても、あげなくても5ユーロに変わりはないのに、こんなにしてくれたおじさんには、心から“ありがとう”と言いたいです。

ほんの些細なことなのだけど、イタリアではあり得ないことなんです。
だから、とても貴重な体験。

この経験を踏まえて、浮かれた観光客で、イタリア人のカモになるのは辞めました。
イタリアのプロダクツは信用ならないのでアウトレットも行かないことにし、ポンペイツアーも置いていかれそうなのでキャンセルします(→後になったら、このことをすっかり忘れて、行きます)

こんな経験をして日本に帰ったら、きっとモノの見方が変わると思います。

きっと日本はよい国だと再認識するのではないかな?

全然、ユーロスターの話じゃなかった…😂
ごめんなさい。